バイクのスピードを落とし、飯場の周囲をひととおり見渡した。そこは昼過ぎに立ち寄った飯場の倍以上の規模があった。

2階建ての4棟のプレハブと1階の事務所らしき建物が立たずみ、その明かりを目指して仕事を終えた作業員たちが薄闇から一人二人現れては疲れ切った身体をひきずるようにして歩いていた。

目の前を数人の男たちがスコップやら棒やらを手にして通り過ぎて行った。同じ歳頃の若者も何人かいた。彼らに混ざり、アルバイトで今日から雇われたと言っても、一晩くらいならごまかせそうな気もした。

バイクを降り、飯場の近くに引っぱって行き、プレハブの脇に置くと、通りすがりに若者たちが薄闇を裂く赤いメタリックな光沢に目を止めた。

注目されて悪い気はしなかったが、自慢のバイクも玉の入ってない鉄砲のようになりかけているのを彼らは知っているだろうか。これを無用の長物にしないためにも、これからここでひと談判しなくてはならない。

男たちの大半が、すきっ腹を満たそうと土埃のついた作業着のまま食堂へと急いでいた。彼らの中に紛れ、これから誰にどう掛け合ったらいいものかと頭をひねった。事務所に飛び込み直接働き口を交渉しようかと思った。

が、昼間のことがある。正攻法で掛け合うとまた無碍に断られるかもしれない。いつまでもぼんやりとつっ立ったままでいるのも考えものだ。不審に思われ、事務所に通報されかねない。ちゅうちょしている暇はない。今こそ一世一代の大芝居を打つ時じゃないか。寝ぐらと食事と、うまくすればバイトにありつけるかもしれない。

僕は、精一杯の演技で、ここで何日も働いている人間を装った。大きく、ゆっくり息を吐き、ずっとこの飯場にいて、他の誰よりもここのことを知っていると自らに言い聞かせた。なによりも肩の力を抜くことが大切だ。こんな時は、沢村もそうアドバイスするだろう。とりあえず誰かに声を掛け、この飯場で人手を欲しがっていないか当たってみることにした。

暗がりの中から沸いたように現れる男たちの中から僕と同じ歳くらいの若者を見つけ、後ろ背に、「あの、すみません」と声をかけてみた。よくみると若者は警備員の制服を着ていた。薄闇で衣服の見分けがつかなかった。失敗したかな、と一瞬言葉がつまった。

若者は首をかしげるようにして振り向き、酒気を漂わせながら、
「な、なんですか」
と、少しどもりぎみに答えた。間近で見ると、若者は赤黒く日焼けし、目が少しむくんでいた。
「あの、ここで働きたいんですけど」

そう訊いているそばで、この若者をつかまえたことを僕は後悔し始めた。若者は仕事帰りに酒をあおったらしく、ほろ酔いかげんで僕の話をまともに聞いているのかどうかあやしかった。

それでも、切羽詰まっていた僕は、若者に作り話で僕の窮状を身振り手振りで訴えた。なんとかここでバイトにありつけないものか。失敗すれば夜の闇に放り出され、春先とは言え、寒空の下で軽装で飛び出して来たことを悔やみながら、どこかで野宿しなければならない。

演劇部で覚えた下手くそな演技でも役に立ったようだった。それとも追い詰められた僕の本心が若者に伝わったのだろうか。若者は僕の話を全部聞かないうちに、おぼつかない足どりで、こっちへ来いと手招きをして飯場の 2階の部屋へと誘った。

若者は階段を上がるとすぐ手前の部屋に僕を招いた。部屋に入ると50過ぎくらいの男が、テーブルに向かって背中を丸め、何か書きものをしていた。

「た、たいちょう」
若者がその年輩の男に呼びかけると、男は、
「ああ、木沼くんか」
と言って、若者の名を呼んだ。振り向きざまに男は戸口にぼんやり立っている僕を見て、
「木沼くんの友達かい」
と福島あたりのなまり言葉で親しげに僕に訊いた。僕が返事に詰まっていると木沼さんが横から、
「ここで働きたいんですって」
と口添えしてくれた。

僕は木沼さんの親切に勢いづいて、隊長というその男にここに来た経緯を話した。嘘をつくのは悪いと思いつつ、まさか失恋の痛手を癒すために今朝方中野からふらりと旅に出てきたところだとも言えず、広島から北海道ヘバイクで旅をしている途中でうっかりサイフを落として困っていると木沼さんに話した架空の話をもう一度した。

2人とも僕を憐れみ、同情するような顔で僕のにわか仕立ての話に耳を傾けてくれた。
「それなら、ここでやってもらったらどうかなぁ、なぁ、木沼くん」
そう言って、隊長と呼ばれた男は自らを田牧と名乗り、僕の名前を訊いた。その時の田牧隊長の福島なまりの言葉を神の福音のように聞きながら、
「クズミヨウジです。あ、あの久しいに住むって書いて、それであの、太平洋のヨウに一、二の二です」
と身体に羽でも生え、身軽になったような気分でとっさに答えた。隣で木沼さんは酒焼けのような赤ら顔を始終緩ませていた。

僕の話を腹におさめると、田牧隊長は自分たちの飯場での役割を話し始めた。
「そんな難しい仕事じゃないから。警備っていっても、ダンプの出入りを事故がないように誘導する仕事だから」
工事現場でよく見掛ける交通整理のような仕事だろうかと思って、
「経験がないんですけど」
と言うと、
「ああ、だいじょうぶ」
と田牧隊長は僕の不安を掻き消すように答えた。
「1人、怪我して、2、3日前に。事務所のほうから早く補充するように言われてたところで、ちょうど人手が欲しかったところだから。だいじょうぶだよ。1日木沼くんの横について見てれば、すぐに覚えられるから」
「は、はい」
「それでどれくらいできそう」
「1ケ月くらいなら」
僕は日給をだいたい5,000円くらいとみて、30日も働けば北海道への行き帰りの資金は作れるだろうと考えた。
「3ケ月くらいやってもらえるといいんだけどね。後の人の手配もあるから」
3ケ月はさすがに長いと思い、
「2ケ月くらいなら。どうせ気ままな旅ですから」
と言って、1ケ月加えた。適当なところで妥協しておかないと今日の寝ぐらと食事が確保出来ないといういじましい打算が僕の中で働いた。
「2ケ月か、、うん、、まあ、じゃあ、そうしようか」
田牧隊長はそれで納得したように顔を緩ませた。
「ごはんは」
「いえ、まだ食べてません」
「じゃあ、下で食べてきたら。新しい人が入ったからって言っとくから」

田牧隊長はそう言うと、木沼さんに僕を食堂へ案内するよう促した。働き口がみつかったことよりむしろその言葉のほうに彼らの親切が身にしみ、僕は何度も頭を下げた。木沼さんはそんな僕を相変わらず横で嬉しそうな顔をして見ていた。

階段を降り、木沼さんに飯場の食堂へと案内してもらった。飯場の食堂は建物の一階の中央付近にあった。窓ガラス越しに数人の男たちが忙しそうに夕食を口に掻き込んでいる姿が見えた。建物自体が簡素に作られているせいか、方々から隙間風が入ってきて中は寒々としていた。

木沼さんは僕を空いている席に座らせると、厨房の奥で残飯をゴミ袋に詰めている腹の出た40過ぎくらいの男に、「今度新しい人が入りましたから」と言って僕を紹介し、あいそのいい顔で「まだ御飯残ってますか」とたずねた。

男はその声を聞いて、木沼さんとわかったらしく振り向きざまに、「あいよ」と威勢よく答え、 「この人と飲み友達になっちゃぁいけないよ。酒代で首が回りゃぁしねえんだから」 と僕に向かって忠告ともつかぬ言葉をかけた。傍で木沼さんはだらしなく口を半開きにして小さく笑いながら、「そりゃないですよ」と言って手を振って男の言葉をさえぎろうとした。厨房の男はカウンター越しにエラの張った顔を出し、木沼さんの困ったような顔を見ながらにんまりしていた。

夕食は、少々水っぽい御飯にコロッケとあじのフライに刻みキャベツに味噌汁だったが、厨房の男がおまけだといっておでんの煮込みを皿に盛ってくれた。僕は男の好意に感謝しつつ、横にいた木沼さんの存在さえ忘れ、それを忙しく腹の中へ掻き込んだ。

思えば、大久保駅前でカレーを食べ、江戸川の土手で昼過ぎに缶コーヒーを飲んだきりで、その後は何も口にしていない。空腹感は極みに達していた。

むさぼるように有り合わせの夕食を腹に詰め込んでいる僕を見ながら、木沼さんは御飯のお替わりを勧め、風呂に入りたかったら食堂の斜め横にあるからと教えてくれた。作り話で朴とつな飯場の人たちを欺いているのかと思うと胸が痛んだ。周りの人々に心の中で詫びながら、目を伏せたま ま無理やり手元の夕食の残りを喉の奥へと押し込んだ。

食事を終えて部屋に戻ると、田牧隊長から仕事の内容を詳しく聞いた。勤務は午前7時から午後の6時まで、昼食は12時から1時までで、工事現場を出入りする車両の誘導を安全に行うのが主な仕事で、勤務場所は日によって変わることもあるという。聞いているかぎりでは、身体をとりわけ使うわけでもなく、案外楽な仕事のようにも思えた。

「だいじょうぶだよ。すぐに慣れるから」
それでも時々僕が不安げな顔をのぞかせるとすかさず田牧隊長はそう言って僕の不安を取り払おうとした。それが幾度となく口をついて出てくるものだから、どうやらその言葉は田牧隊長の口癖に違いないと思った。

時計の針が9時を回った頃であった。誰かが部屋をノックする音が聞こえて、田牧隊長が「はいよ」と返事をすると、ドアを開けて2人の男が入ってきた。1人はメガネをかけた60半ばの白髪まじりの痩せて骨ばった老人で風呂上がりらしく、火照った顔をしていた。もう1人は40くらいの頬のこけた馬づらの気の良さそうな赤ら顔の男だった。

田牧隊長は、ちょうどよかったと言って2人を部屋へ招き入れると、警備員の仲間だと言って1人づつ紹介した。僕はクズミヨウジと名を名乗り、余計なことは話さないで大学の2年ですとだけ付け加えた。

そのあとで、田牧隊長が僕がここへ来た経緯を僕が語ったことと寸分違わぬ正確さで彼らに話した。僕はそれを聞きながら沢村から教わった演技でまことしやかに振る舞っていたが、2人に旅の道中のことを聞かれたらどうしようかと内心冷汗ものだった。

何か聞かれて話せることといったら広島と東京近辺のことだけで、それ以外のことはまるで不案内で、せいぜい話せたとしても帰省の際に立ち寄る大阪の駅前あたりのことしか知識がない。

「若いのに気骨のある人だ。将来たのもしいねえ」
そう言って、川瀬と名乗った老人は僕をほめちぎった。さらに、
「若い頃に、そういう経験しておくのもいいことだよ。なあ、木沼くんさ、酒ばっかり飲んどらんと」と言って、横にいた木沼さんをたしなめた。僕のでたらめな話のせいで川瀬さんに手厳しく意見されている木沼さんを見るにつけ、胸が痛んだ。かくなるうえは仕事でこの御恩はお返ししますと腹の中で詫びた。

田牧隊長はどこかスナック菓子のカールのCMに出てくる麦わら帽子のおじさんに似ていて、始終顔を緩めているし、木沼さんは昨日の二日酔いがいまだ尾を引いているのか目線が宙を泳いでいて、人の話を聞いているのかいないのか判然とせず、なんとかこの場をやり過ごせそうだったが、川瀬老人はちょっとあなどれないと思った。

川端康成全集でも完読していそうな哲学者然とした面持ちで、眼光鋭く、時折、僕のユニクロで買ったライトグリーンの真新しいジップジャケットに視線を這わせていた。

僕の素性まで見抜いていそうな眼差しが向けられるたびに、金縛りに会ったような気分になった。沢村だったら、こんな時、どんなふうに切り抜けるだろう。相手から目をそらすなとか、意識をへそ下三寸の丹田に置き、気を充実させろとかアドバイスするだろうか。

川瀬老人に、「広島から来たにしてはずいぶん軽装だね、荷物は?」と訊かれたら何と答えようかと、そのことばかりが頭を駆け巡った。世界でも屈指の治安を誇る日本で、今時山賊など出るはずもない。が、オイハギならいるかも知れない。中山道のコンビニ前で賊に出会い、荷物ごと金品も巻き上げられた、と確信を持って答えるしかあるまいと腹づもりした。 

そんな僕の杞憂も、10時前になり、「じゃあ、明日が早いからね」という隊長の言葉でなんとか救われた。川瀬さんともう一人の男は自分たちの部屋へ戻り、木沼さんはうるさい川瀬さんがいなくなったと言って、押し入れから布団を出して僕が休めるようにしてくれた。川瀬さんがいなくなってほっとしたのは木沼さんよりむしろ僕のほうだった。

その日の夜、少し湿り気をおびた布団にくるまって、深い眠りに陥る前のほんの少しの間、ちょうどその時分の昨夜のことを思い出した。

正体がわからなくなるほど沢村たちと酒を飲み酔いつぶれていた自分と飯場で木沼さんの横で寝ている自分は確かに同一人物なのに、ちょっとしたきっかけで情況が一変し、そのことに奇妙な運命の巡り合わせを感じた。

20歳になった日を境に起きた運命の流転を僕はしみじみと感じ入った。
冷えていた身体が布団の中で温まるにつれ、親切な人たちに巡り合えたことを神に感謝した。


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